2011年12月07日

浜比嘉島1

先日(一ヶ月前)、浜比嘉島へ洞窟を探しに行った。
小さな島だが、洞窟がわりと多く記載されている。
過去の資料には洞口位置のプロットなどされているものもあるのだが、
5万分の1の地形図なので、位置がわかりずらい。
行けばなんとかなるだろうと思い行ってみたが、洞口は一切見つからず、なんともならなかった。


標高50Mくらいの位置を崖に沿って歩いてみたが、
あるのは洞窟の痕跡である地下河川の流路跡や風化した鍾乳石ばかり。
過去数万年前には立派な洞窟があったのだろうと昔を偲び、うらやましく思うだけだった。
いつ頃、どのくらいのスピードで鍾乳洞が跡形もなく、溶けてなくなってしまったのだろうか。
今では、浜比嘉島の台上にポリエとなった地形が残るのみ。

浜比嘉島1

■破風のように残った洞窟の痕跡の一部
 昔は巨大な地下川を有した洞窟が、この台上に存在していたのだろう


浜比嘉島1

■風化したつらら石と石筍



戦前から戦後の初めにかけて、数千人という人が浜比嘉島に住み、狭い島のあちこちで畑をつくって暮らしていたという。
そんな頃の台上では、そのすべてが田んぼと畑になっていたというから、かなり見通しが利いたように思える。
洞窟にたどり着くのも簡単で、子供の身近な遊び場だったかもしれない。
今では、古道も畑も田んぼも、ススキや潅木が生い茂り、藪こぎも難儀である。
ススキを掻き分けふいに現われる石の畦くらいが、昔の名残である。


浜比嘉島1

■浜比嘉島の台上より海を眺める。
 そんなに大きな島ではないのだが、
 台上にあがると、岩壁や凹凸で囲まれた似たような風景が多く、
 地図がないと自分の位置が把握しずらい。



15:00頃山に入ったが、今は使われていない古道を、島のHさんに教えてもらった。
夜になっても私が山から下りてこないので、Hさんや、与那国馬でお世話になったKさんに
ご心配をかけてしまい、申し訳なく思い、お詫びした。
最近、よそからきた人が行方知れずになったとのことで、私の場合も同様に心配したとのこと。
(そのひとが見つかったのかどうか、肝心なところは訊きわすれた。)


後ほど、Hさん宅で『勝連町の遺跡』という資料のコピーを一部見せてもらった。
それは洞窟遺跡の位置が詳細にプロットされていて、洞口位置を確認するのに適していた。
後日、流大図書館で同じ資料を複写して、
ついでに、うるま市役所で浜比嘉島の航空写真も手に入れた。
最近では、それらとGPSを持って浜比嘉島の台上を徘徊し洞窟を探している。



ごくたまに、休日の過ごし方を問われることがありますが、
説明するのが面倒くさいので、読書、とか言うことがあります。(お)





Posted by おきなわワールド at 20:49│Comments(0)洞窟関連の話題
 
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